自助グループの始まりは、1935年のアメリカまでさかのぼります。
アルコール依存に苦しみ、社会的地位も人間関係も失ってしまった二人の当事者が、互いの経験を語り合い、お酒に支配されない生き方を模索したことがきっかけでした。
その営みは広く知られるようになり、日本にも「自助グループ」という考え方が伝わりました。いまではアルコール依存にとどまらず、さまざまな依存症、精神疾患、そして生きづらさを抱える人のために、多様なグループが存在しています。
多くの自助グループでは、参加者を「仲間」と呼びます。
同じ境遇や悩みを持つ者同士が、互いを理解し、分かち合いながら問題に向き合う。そこには「相互扶助」の精神があります。
しかし一方で、自助グループの存在はいまだ広く知られているとは言えません。
「中で何をしているのか分からない」という不安や、誤解・偏見の声が向けられることもあります。参加には大きな勇気が必要なのです。
仲間が抱える悩みの中には、たとえ気心の知れた相手であっても打ち明けられないことがあります。もし言えたとしても、社会規範や個々の価値観によって、善悪の判断を下されてしまうことがあるかもしれません。
その結果、過去のトラウマを心の奥に押し込み、見て見ぬふりをするしかなかった人もいます。
「人や社会は信頼できない」と学んでしまった人もいます。
アルコール、ギャンブル、薬物、性行為、仕事…。
嗜癖(しへき)にのめり込むことで一時的に気持ちをやわらげたり、愛や承認を過剰に求めて苦しんでしまったり。
共依存の関係の中で必死に生き続けている仲間もいます。
自助グループでは、正しい・間違っていると裁かれることはありません。
時間はかかっても、分かち合い、語り合うなかで、安心感や素直な気持ち、そして「人を信じてもいいかもしれない」という安心安全の感覚が少しずつ芽生えてくるでしょう。
実際に参加した仲間たちは、こんなふうに言います。
「誰にも言えなかったことを話せて、心が整理できた」
「自分ひとりじゃないと分かって、ほっとした」
寛容さや多様性が求められる一方で、「自己責任」という言葉のもとに分断が進む時代。
だからこそ、当事者同士が手を取り合い、相互扶助の温かさを感じられる居場所が必要だと当会は考えます。
運営者である私自身もACを自認しており、過去のトラウマや十分に得られなかった愛情とどう向き合うのかを、自問自答しながら活動を続けています。
同時に、自助グループの心理的効果や愛着形成に関する学びを深め、今日も周知活動を行っています。
アディクションに向き合い続けた先人たちが築いた、自助グループの歴史と精神。
その想いに敬意を表しながら、私たちは「当事者同士の力」を信じています。
分かち合いを重ねることで、ACが抱える苦しみが少しずつ小さくなり、やがては健康的な社会参加や人間関係の再構築につながっていく。
私たちはその希望を信じて、今日も仲間と共に歩みを続けています。